正宗寺  しょうじゅうじ  2009/11/28他 茨城県常陸太田市増井町1514  臨済宗円覚寺派、万秀山。本尊、木造十一面観音菩薩坐像。1431年、開創。開山、夢窓疎石。開基、佐竹氏一族、月山周枢(がっさんしゅうすう)。太田城の城主、佐竹氏とゆかりの深い勝楽寺、正法院、正宗寺が棟をならべていた。923年、平将門の父良将が創建。創建当初は勝楽寺。律宗。1223年、佐竹氏4代秀義が勝楽寺の境内に正法院を創建。1431年、9代貞義の子、月山周枢が夢窓疎石を招き,正宗庵を創建。10代義篤が、正宗庵を臨済禅刹に改めて正宗寺とする。一時、3社合わせて、寺田4万石とも云われ隆盛を極めた。その後、勝楽寺と正法寺は争乱によって衰える。正宗寺は、佐竹氏の菩提所として、関東十刹の一つに挙げられるまでに繁栄。江戸時代には、徳川家光により、朱印100石を受け、12ケ寺の末寺があった。1838年、総門の一部を残し焼失。1839年、庫裏再建。1870年、本堂再建。1986年、本堂再建。裏山には、佐竹一族の墓、宝篋印塔。「助さん」の墓がある。県道から正宗寺への道。 源氏川に木の橋がかかっている。狭く、車が入るのが大変。

勝楽寺(しょうらくじ)923年、平良将が創建。律宗の増井寺。1051年、源義家が、大瑞山勝楽寺と改称。1596年、焼失。正法寺(しょうほうじ) 1223年、佐竹4代秀義が勝楽寺内に子院正法院を開設。火災で焼失。1285年、8代行義が、南明山正法寺を建立。

正宗寺遠景。

総門 室町時代の建築。1838年、火事で唯一焼け残った総門。

扁額 海東禅

杉の木立が並ぶ参道が続き、 本堂に至る。

柏槙。 推定樹齢、600年。

本堂。





「阿形」(あけい)仁王。

「吽形」(うんけい)仁王。

本堂



収蔵庫

大きなかえる。



鐘楼と庫裏

本堂の裏山に、佐々宗淳の墓がある。水戸黄門漫遊記の「助さん」、本名は佐佐宗淳という。15歳で京都妙心寺の僧となる。僧として約20年つとめる。江戸に出て1674年、徳川光圀に仕える。
進物番兼史館勤務となり、義公修史、史料の採訪収集に従事した。1696年、彰考館総裁をやめ、小姓頭として西山荘の光圀に仕える。選文は格さんこと安積覚澹泊である。(案内板より)

佐竹一族の墓  宝篋印塔は、佐竹氏代々の墓塔と伝えられる。銘がわからず何代の城主のものであるかはわからない。墓塔の笠の四隅の飾り、突起の直立に近い形から、時代は古い。秋田への国替えに際し、一族の墓石を秋田へ運んでいったともいわれる。しかし、他の佐竹氏にゆかりがある寺に、佐竹氏の墓石と伝えられる宝篋印塔等が残っている。秋田への国替えの際、位牌だけ秋田に移され、墓石は、ここに残されたと思われる。(案内板より)

正法寺跡近く。