鯨ケ丘 くじらがおか   2009/11/22 茨城県常陸太田市   鯨ケ丘・・・台地の上に広がるまち。鯨ケ丘・・・遠くの少し高くなたところ。

台地上の稜線の上に、鯨ケ丘がある。高さ30mの南北に長い、台地に、約4,000人が暮らす。南北約1.5q、東西500mほどの広さ。鯨ヶ丘には沢山の坂道がある。 太田七坂と呼ばれる、東坂・十王坂・塙坂・板谷坂・杉本坂・下井戸坂・木崎坂がある。4世紀頃、日本武尊が東夷征伐。この地が鯨の背中ように見えたことから鯨ケ丘と名づけた。鯨ヶ丘は、佐竹氏の城下町。太田城があり、坂に番屋があり、堀があった。佐竹氏が秋田に移っても、太田城は太田御殿となり水戸藩の支所として機能。昭和初期まで発展。昭和50 年代からは、商店街は除々に淋しくなる。蔵造りの商家、土蔵などが多く並び、昔の繁栄した、面影を残している。街は戦災にあわず、大きな災害もなく、外観・雰囲気ともに歴史を感じさせる。・・・世界遺産にならないものか?   図書館→舞鶴橋→ヨネビシ醤油→宮田書店→古刀比羅神社浄光寺→塙坂→長山商会→板谷坂→成田山真福寺法然寺伊勢神社→鯨ケ丘商店街→鯨ケ丘ふれあい広場→木崎坂→梅照院→二本松藩士の碑→下井戸坂→鯨ケ丘ふれあい広場→下井水神宮別雷神社→杉本坂→遍照寺山田神社→立川醤油→郷土資料館・梅津会館→郷土資料館分館→オーベルジースと塩町館→十王坂→若宮八幡神社→太田進徳幼稚園→舞鶴城太田城 専売公社跡→帰願寺→旧太田中学校→愛宕神社→太田落雁→専売公社跡→東坂→鯨ケ丘商店街→佐藤運動具店→東の辻→秋葉神社→ぺんき屋さん→鯨ケ丘倶楽部→くじら屋→馬場八幡宮   鯨ケ丘散策図(鯨ケ丘ふれあい広場マップより)  @郷土資料館・梅津会館  1936年、旧太田町役場として梅津福次郎の寄付で建てられる。A郷土資料館分館  明治時代末、旧太田協同銀行として建てられた。B舞鶴城跡(太田城跡)  平安時代末から460年間この地を治めた佐竹氏の居城。 現在、太田小学校。C太田落雁  水戸藩主徳川斉昭が定めた水戸八景のひとつ。 ここからの風景は、真弓千石といわれた。D二本松藩士の碑  幕末の水戸藩の天狗・諸生の乱で太田を警護し、戦死した二本松藩兵の碑。E根道(太田西道)  鯨ケ丘の台地西側を通る道。F鯨ケ丘ふれあい広場

太田七井   A、猿の井(内堀町)・・・古刀比羅神社境内内  B、金が井(金井町)  C、十王井(寿町)・・・現在は廃止  D、下井(木崎一町)・・・水神社がある。  E、お茶の水(栄町)  滝の井(木崎二町)  紫岸井(栄町)・・・場所不明  市民交流センターパルティホールと図書館(奥)。舞鶴橋よりみる。

ヨネビシ醤油。  順天堂病院の基礎を築いた佐藤進男爵の生家。

宮田書店

古刀比羅神社    浄光寺   塙坂  塩を運んだ塩の道。塙坂を上りきったところは塩横町。





板谷坂(ばんやさか)。  七坂では唯一徒歩のみで車の通れない坂道。   名前の由来は、佐竹氏がこの地を治めていた時、「番屋」があったことから。 右は長山商会。

板谷坂を上から見る。  眺めがよい。かつては、眉美千石といわれた。

成田山真福寺  法然寺  伊勢神宮  鯨ケ丘商店街

鯨ケ丘ふれあい広場

木崎坂  太田駅から南口を通り鯨ヶ丘に上る坂道。鯨ヶ丘の南側の入り口。  江戸時代に、番所の木戸があった。「木戸の先」が名前の由来。

梅照院   木崎坂に面した、.料理店、鷹の家横から、二本松藩士の碑へ続くみち。



二本松藩士の碑。  1864年、天狗党の乱。 二本松藩士が警戒の任についた。多くの戦死者を出しながら太田を守った。

下井戸坂  鯨ヶ丘の南側にある。車は、一方通行。 途中、太田七井の一つ「下井戸」がある。 名前の由来は「下井」があるから。

鯨ケ丘ふれあい広場   下井水神宮  別雷神社  杉本坂   車は一方通行。狭く急な坂道。 坂の名前は、坂の途中にある、遍照寺の山号「杉本山」から。

遍照寺  山田神社  立川醤油

郷土資料館・梅津会館  梅津会館は、1936年に当時の太田町役場として建築された。外観はタイル貼り。南東角に角塔を持つ。 正面に大アーチの車寄を張出した本格的な庁舎建築。この建物は、常陸太田市出身の海産物問屋・梅津福次郎からの35,000円の寄付により建てられた。 1978年まで常陸太田市役所として利用された。現在は、郷土資料館。 2010/10/23写す。



福次郎は、梅津会館をはじめ、  久昌寺、太田高等女学校、西山修養道場、若宮八幡宮などに寄付をしている。

西山荘

西山荘通用門

義公木像

瑞龍山 水戸徳川家藩主墓参りのときの休憩所

瑞龍山長屋門

郷土資料館分館  明治時代末、旧太田協同銀行として建てられた。

オーベルジースと塩町館

十王坂   鯨ヶ丘と太田二高を結ぶ真っ直ぐで急な一方通行の坂道。 別称「だいこん坂」。由来は不明。



若宮八幡神社   若宮八幡神社横坂道

太田進徳幼稚園  1936年、創立。ちょっと 、かたちがユニーク。

舞鶴城   専売公社跡  狭い町の中心に空き地。使われていないのがもったいない。

帰願寺  旧太田中学校講堂  1904年、建設。木造平屋建、切妻、桟瓦葺。外壁は板張。縦長の上げ下げ窓。上部は半円形の欄間。丸柱の上部、コリント式風。太田一高の中にある。学校の外から写真をとる。

愛宕神社   太田落雁  1833年、水戸九代藩主徳川斉昭(烈公)が、領内の景勝地を巡視。水戸八景に選定。太田落雁と命名。阿武隈の連山を背景とした眺め、雁が刈田におりる。「さして行く 越路の雁の 越えかねて 太田の面に しばしやすらふ」 と徳川斉昭は詠んだ。碑の大文字は、徳川斉昭の書。(案内板より)



専売公社跡  街中の空き地。もったいない・・・。土地が泣いている。

東坂   鯨ヶ丘の一番北の坂道。東町の坂だから「東坂」。

鯨ケ丘商店街

佐藤運動具店

東の辻  休憩ができる、東屋のような、場所が設置されている。

秋葉神社    ぺんき屋さん

鯨ケ丘倶楽部。

くじら屋   くじら焼きの店。





馬場八幡宮   常陸太田市は  佐竹氏の本拠地として繁栄した、城下町。佐竹氏は、清和源氏、義光を祖とする。平安時代末期、平家と同盟を組む。常陸奥七郡を領した。平家没落後、領地を失う。源頼朝による奥州征伐に随行する。南北朝の騒乱で、足利尊氏の有力武将となる。常陸国守護となる。戦国時代、豊臣秀吉に従う。常陸国の統一を果たし54万石。本拠を太田城から水戸城に移す。関が原の合戦は、中立の立場。秋田へ21万石で移封。江戸時代、水戸藩となる。太田城跡は、水戸藩家老の別館、太田御殿が築かれる。瑞龍山は、歴代水戸徳川家の墓碑がある。徳川光圀の住んだ西山荘がある。棚倉街道の宿場も設けられた。(常陸太田市歴史散歩より)