19/5/18 放送大学ライブラリー講演会。茨城県立図書館。  [ ]はhp制作者メモ。
63歳の親鸞−人生の再出発をめざして。
関東の布教が成功し、60歳で京都に帰った親鸞をまっていたものは何だったのか?。
東国真宗研究所・所長 今井雅晴先生。
●親鸞の実像。
●越後から関東へ。
●関東での布教。
●親鸞聖人60歳。茨城より京都に帰る。
親鸞伝絵御伝鈔。
聖人東関の堺を出でて、花盛の路におもむきましましけり。
●京都に帰った親鸞聖人は、門弟との交流を絶つ。
なぜ親鸞聖人は京都へ帰ったか。
[人は還暦になると故郷へ帰ってみたくなる?]
特に何かをしようという目的はなかった?
●親鸞伝絵御伝鈔。
京都に帰った親鸞聖人。
聖人故郷に帰て往時をおもふに、年々歳々夢のごとし、幻のごとし。
長安洛陽の栖すみかも跡をとゞむるに嬾ものうしとて、
扶風ふふう馮翊ひょうよくところどころに移住したまひき。
[●親鸞聖人は故郷に帰って昔のことを思う。
歳月は夢幻のようにも思えた。
京都で住まいを決めるのは気が進まない。郊外を転々した。
京都での住まいを中国の洛陽にたとえる。
洛陽の中心部は東部分の地域。
扶風とはそれ以外の地域、北部分の郊外地。
馮翊とは残りの西南部分の郊外地。
それを京都の郊外にあてはめ、扶風・馮翊と表現した]
聖人は人のあまり来ない京都の郊外に住んだ。
やがて五条西洞院周辺に住んだ。
親鸞聖人は誰にも会いたくなかった。
仕事をしようと京都へ帰ったのではない。
●親鸞聖人63歳。聖覚が69歳で入滅。
親鸞聖人はふたたび門弟と交流を始める。
自分がやらなくてはと思った?
関東の弟子に聖覚の唯信鈔を写して送る。
●親鸞聖人75歳教行信証をまとめる。
●善鸞と親子の縁をきるできごとが起きる。
親鸞聖人は自分でやっていこうとする。書き物で残そうと考える。
善鸞との事件がなければ親鸞聖人は書かなかった。
善鸞が親鸞聖人に書かせたことになる。
●親鸞聖人82歳から86歳の間に書いた直筆の著書は親鸞聖人著書の81%をしめる。

[親鸞聖人は82歳から直筆の著書を多く残してくれた。
善鸞との事件がきっかけとなったのか。善鸞の存在が大きい。
親鸞聖人の生きた時代の平均寿命は40数歳だった。
親鸞聖人は倍生きたことになる。
90歳で入滅。
現在は60歳で定年が多い。
平均寿命を考えると、親鸞聖人のように入滅までに何かやりたいものだ。
今井先生は益々お元気に話され ご活躍されている。うれしい]