19/1/25 上宮寺定例法座。 茨城県那珂市本米崎。 真宗本願寺派。  < >はhp制作者メモ。
■全員で正信偈を称える。
■大中明英師 栃木県 法得寺住職。 
●歎異抄後序。
●善悪のふたつ、総じてもって存知せざるなり・・・。
何が善であり何が悪であるのか、そのどちらもわたしはまったく知らない。
なぜなら、如来がその心で善と思うほどに善を知ったのであれば、善を知ったといえる。
如来が悪と思うほどに悪を知り尽くしたのであれば、悪を知ったといえる。
しかし、私たちはあらゆる煩悩をそなえた凡夫。
この世は燃えさかる家のようにたちまちに移り変わる世界。
すべてはむなしく、いつわりで、真実と言えるものはなにひとつない。
その中にあって、ただ念仏だけが真実である。と親鸞は言い念仏を称えた。              

●真実か否か。親鸞聖人の判断基準は、欲得ではない。目先のものに振り回されない。
 
●ある抗議書。の善と悪。
菊池寛の短編小説「ある抗議書」。大正5年。ひとりの男が警察に逮捕される。
9人もの人を殺した凶悪犯。凶悪犯は死刑に処される。
死刑の執行の後1年後、弁護士により犯人の告白書が出版される。
凶悪犯は、刑務所でキリスト教の信者になる。
絞首刑なるときには喜びの笑みを浮かべて処刑された。
それを読んだ被害者遺族のひとりが、やりきれない気持ちになる。
そして司法大臣閣下あてに抗議書をだす。
自分たちは殺された家族と共に苦しみながら生きてきた。
それなのに、家族を殺した犯人が、宗教的に救われて死ぬのはおかしい。

●なぜ被害者の家族は苦しみ、加害者は宗教的に救われ苦しまずにいのちを終える。
被害者の家族としてはなんともやりきれない。
被害者は苦しんでいのちを終えるべきだ。
<菊池寛の問いに対する答えは何だろう。何が善で何が悪>

●舌切りスズメのはなし。の善と悪。
舌切りスズメのはなしは、おじいさんが助けたスズメから恩返しされる話。
やさしいおじいさんと欲張りで意地悪なおばあさんがいた。
おじいさんが山で薪をひろっていた。一羽のスズメが怪我をしていた。
おじいさんは、家に連れて帰って手当をした。おじいさんは、家でスズメを可愛がって育てた。
おばあさんは、おじいさんがスズメを可愛がるのを面白くなかった。
おじいさんが山に行ったとき、
スズメはおばあさんの作った洗濯に使うのりを食べてしまった。
おばあさんは怒ってハサミでスズメの舌を切ってしまった。
おじいさんが帰ってきた。おばあさんにはなしを聞いた。
おじいさんは、スズメが心配になり山に探しに行った。
山の中でおじいさんは、スズメの家を見つけた。家の門に逃げたスズメが出てきた。
おじいさんは、歓迎され御馳走をいただいた。
帰りにお土産としてふたつのつづらが出てきた。
どちらかひとつ好きな方を持って帰るようにいわれた。
おじいさんは、小さいつづらをもって帰った。
家に帰ってつづらを開けると中からたくさんの宝物がでてきた。
おばあさんは、おじいさんが小さい方のつづらを選んだことを怒った。
大きい方にはもっとたくさんの宝物があったに違いない。
おばあさんは直ぐに、スズメの家に行き大きなつづらを選び持ち帰る。
帰る途中、つづらが重くて休憩した。つづらのなかが気になって仕方がない。
おばあさんはつづらを開けた。
ツヅラの中には、ヘビや一つ目小僧などのお化けが入っていた。
びっくりしたおばあさんはあわてて山道を逃げて家に帰った。という。
●おじいさんは善・おばあさんは悪と考えられている。
が、つづらの両方に宝が入っていてもよいのではとも考える。
おじいさんは善・おばあさんは悪は、凡夫の都合での善悪。

●金子みすゞさん。善と悪。
金子みすゞさんに、こぶとりじいさんについての詩「こぶとり」がある。
正直爺さんこぶがなく・・・意地悪爺さんこぶがふえ・・・も一度一緒にまいりましょ・・・
山から出て来た二人づれ、正直爺さんこぶ一つ、意地悪爺さんこぶ一つ、
二人でにこにこ笑ってた。

●この詩は童話「こぶとりじていさん」の続きを書いた詩。
「みんなが幸せになるのがいい」といっている。
みんなが、しあわせになると私もよい気持ちになれる。

●<本来の「こぶとりじいさん」
頬に大きなこぶのあるふたりのじいさんがいた。
ひとりのじいさんは無欲。ひとりじいさんは欲張りだった。
ある夜、無欲なじいさんが鬼の宴会にであう。踊りの好きな無欲なじいさんは踊りだす。
鬼に気に入られ宴会の終わりまで、御馳走になりたのしむ。
鬼は、無欲なおじいさんの大きなこぶをとってくれた。
無欲なじいさんが、欲張りじいさんにはなしをした。
欲張りじいさんは、それなら自分のこぶもとってもらおうと考えた。
夜更けにその場所に出かけると、同じように鬼が宴会していた。
欲張りじいさんは踊りだす。しかし、鬼の気には召さなかった。
鬼は怒って無欲のじいさんから取ったこぶを欲張りじいさんのあいた頬につけた。
それから無欲なじいさんは邪魔なこぶがなくなって清々した。
が、欲張りじいさんは重いこぶをふたつも下げることなった>

●白楽天は若いとき禅道を求め、道林和尚(鳥巣禅師)を訪ねた。
「仏教の根本の教えとは何か」と質問した。
道林和尚は「諸悪莫作、衆善奉行」
悪いことをするな、善きことをせよと答えた。
3歳の童子でも知っているであろうが、80の老人でさえ行うことは難しいといった。
悪い行いをしない。善い行いをする。心浄らかに悟りを開く。
仏・真理の世界にいたる。是れが仏教。

●禅門で読誦する経のひとつ。七仏通戒偈。
諸悪莫作しょあくまくさ・衆善奉行しゅぜんぶぎょう・自浄其意じじょうごい・是諸仏教ぜしょぶっきょう。
悪いことをするな、善いことをしろ。こころをきれいにしろ。これが仏の教えだ。

●仏教の十悪。身業・口業・意業。
●身業。・殺生。生き物をみだりに殺す。・偸盗ちゅうとう。他人のものを盗む。・邪淫。
●口業。・悪口。・両舌。二枚舌を使う。・綺語。言葉を飾る。・妄語。嘘、偽り。
●意業。・慳貪けんどん。むさぼり。・瞋恚しんに。怒り。・邪見。よこしまな考え。

●浄土真宗は 念仏で救われる。
七仏通誡偈がある。が、私は凡夫。何が善で何が悪か分からない。ただ念仏だけが善。
凡夫はこころを清く出来ない。念仏を称え阿弥陀如来に救ってもらう。
念仏に出あい念仏申す生活をする。
念仏を称え阿弥陀如来に救ってもらう。浄土へ往生すると同時に仏になる。
念仏のはたらきで、浄土へ往生し仏になる。
南無阿弥陀仏を称え、浄土へ生まれさせていただき即仏のさとりを得る。
御恩報謝の念仏を称えさせていただく。
<今、わたしは正定聚の位にいるのか・・・阿弥陀如来さまが知っている>

●善と悪 何が善 何が悪か わからない
善とは何かわからない。善悪を捨てなさい。
一心に書を書く。それがあなたの書。あなたの文字となる。

●殺生が一番悪い。
死刑制度はどうか。ひとがひとを殺してよいのか。
戦争は殺人にならない。何が善で悪かわからない。
阿弥陀如来のみが知っている。自我の意識から解放される。

●弁円。
佐竹氏に招かれ常陸にくる。修験道を学び山伏となり常陸で活動していた。
後から親鸞が笠間を拠点に念仏を布教。弁円は親鸞を憎み殺害を企てる。
稲田の草庵に押し掛け親鸞に対面する。欲得の無い、はからいの心をすてた親鸞に対面。
弁円は即座に得るものがあり、その場で非礼をわび弟子になる。
明法房となのった。上宮寺を開基した。
<現在の上宮寺の住職さまは弁円と血縁があると思う>

●火宅について。
・・・この世は燃えさかる家のようにたちまちに移り変わる世界であって・・・。

●この世は燃えさかる家、火宅の比喩は法華経にある。

●三車火宅の譬え。
インドのある町に、大きな長者がいた。その家屋敷はおおきかった。
家は荒れていた。家の出入り口はひとつだった。
ある日、その家が火事になった。家の中には、長者の子供達が大勢夢中で遊んでいた。
火事に気づかない。長者は、大声で知らせるが、子供は遊びに夢中。
長者は、ふと子供達が車を欲しがっていたのを思いだす。
「おまえ達の好きな、羊のひく車(羊車)、鹿のひく車(鹿車)、牛のひく車(牛車)が門の外にくる。買ってあげるから早く出てきなさい」
すると子供達は、その言葉を聞いて正気にもどった。
燃えさかる家から出てきた。子供達は、口々に約束の車をせがんだ。
長者は子供達に大変豪華な車(大白牛車)をみんなに等しく与えた。

●長者は釈迦。子供は凡夫。荒れはてた家は現実の人間社会。火事は凡夫の煩悩。
凡夫は、物質・肉体にとらわれて苦しむ。釈迦は説いた。
・声聞(羊車)。教えを聞け。・縁覚(鹿車)。教えを体験しろ。・菩薩(牛車)。教えで多くの人を救え。
教えを行いば、真理(大白牛車)にたどり着く。

●わが身良しとする現実。

●芥川龍之介 蜘蛛の糸 あらすじ。
釈迦が、極楽の蓮池の周りを散歩していた。池の中をみると水を通して地獄が見えた。
その中にカンダッタという男がいた。極悪人の泥棒だった。
釈迦は、カンダッタが一度だけ良いことをしたことを思いだした。
カンダッタは、蜘蛛の命を奪わずに助けたことがあった。
カンダッタを救い出そうと、釈迦は蜘蛛の糸を蓮池から下した。
地獄で、カンダッタは、目前に蜘蛛の糸が垂れてきたのに気づく。
「これさえあれば助かる。地獄から抜け出せる」
カンダッタは極楽目指して蜘蛛の糸を上っていった。
かなり上までいき一息をつき下を見た。地獄の多くの人が、蜘蛛の糸を上ってくる。
カンダッタは、「これは俺のものだ」と叫んだ。
その瞬間にプツリと音を立てて、蜘蛛の糸は切れた。カンダッタは地獄に落ちていった。
これを見ていた釈迦は悲しそうな顔をした。再び極楽をぶらぶらと歩いていった。

●蜘蛛を一度だけ助けた「縁」により、釈迦の慈悲により蜘蛛の糸の助けをいただいた。
カンダッタは、多くの人が下からくるのを見て、「これは俺のものだ」と叫んだ。
自分ばかり地獄からぬけ出そうとするカンダッタの無慈悲な心。
「自分さえ助かれば、他のひとはどうなってもよい」という心が蜘蛛の糸を切ってしまった。

●浄土真宗的には・・・。
地獄に落ちたカンダッタ、深い悲しみに落ちた。
自分だけか助かりたいと欲したばかりに蜘蛛の糸は切れた。
懺悔の気持ちがいっぱいになり目を閉じで深く反省した。
阿弥陀如来に心から念仏を念じた。南無阿弥陀仏。
その時、後ろからだれかにかるく肩をたたかれた。
カンダッタは目を開けた。するとそこにはおだやかな浄土の世界があった。
かたをたたいたのは阿弥陀如来だった。・・・などという話にはならないのかな。

●因幡の妙好人 源左さまのことば。
源左は、人さまに許してもらってばかりいます。
源左は、堪える力のない、煩悩具足の凡夫です。
誰が悪い、彼が悪いと言うけれど、この源左ほど悪い人間はいません。
そんな源左だけれども、源左を仏にしてくださると、親鸞聖人はお説きくださいました。
この源左がたすかるのだから、他の人が助からないはずはありません。
ありがたいことです。
人のやることが気に入らず、せまい根性の源左が、人さまから許されていました。

南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。