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  寺と神社
会津藩主松平家墓所 院内御廟   2009/10/15   福島県会津若松市東山町大字石山字墓山甲1731番地1   歴代会津藩主の墓所。1657年、会津藩初代の藩主・保科正之が開設。西の御庭、中の御庭、入峰墓所、拝殿などがある。面積は約15万m2。
参道入口。



西の御庭、中の御庭は、墓域の中腹にある。石段を登った所に入峰墓所がある。拝殿は、奥まったところにある。初代藩主正之は猪苗代の土津神社に神式で葬られている。2代藩主正経及び歴代藩主の夫人・側室・子女の仏式による墓が、中腹の西の御庭・中の御庭にある。3代藩主正容から9代容保までの神式による墓が、入峰墓所にある。11代容大〈かたはる〉以降は、入峰墓所の西端(左端)の「松平家之墓」に埋葬されている。

御廟入口

歴代松平家愛馬の墓。 墓所入口の前にある。

参道入口からなだらかな坂道を漸く登る。



拝殿への石畳。

拝殿

拝殿から入峰墓所へのみち。 けっこうきつい坂道。

4代 容貞(かたさだ) 碑石 他の碑石にくらべ刻した文字が大きくしっかりしている。

4代 容貞(かたさだ) 灯籠、表石、鎮石

8代 容敬(かたたか) 灯籠、碑石

8代 容敬(かたたか) 表石、鎮石

3代 正容(まさかた)  灯籠、表石、鎮石

3代 正容(まさかた)  碑石



5代 容頌(かたのぶ) 6代 容住(かたおき)7代 容衆(かたひろ)の碑石

5代 容頌(かたのぶ) 碑石



表石、鎮石

6代 容住(かたおき) 碑石



灯籠、表石

7代 容衆(かたひろ) 碑石



灯籠、表石、鎮石

9代 容保(かたもり) 碑石

灯籠、表石

鎮石

11代容大〈かたはる〉以降は、入峰墓所の西端(左端)の「松平家之墓」に埋葬されている。



2代藩主正経(まさつね)の墓へ続く道。

2代藩主正経(まさつね)の墓

碑石

鳳翔院殿

中の御庭 歴代藩主の夫人・側室・子女の仏式による墓







西の御庭 歴代藩主の夫人・側室・子女の仏式による墓







3代から9代までの墓は、初代正之と同じ神式の墓。亀の形をした石、亀形石を台座とした碑石が前面にある。亀石は(きふ)、中国の空想上の動物。竜の子を表し、死者の霊を守る。碑石(ひせき)は、故人の生立ち・経歴・業績などが刻まれている。碑石を前面に置く。一段高いところに対の石灯籠を並べる。奥に「表石」を建てる。さらに八角形の「鎮石」を置く。亀石の下の石、灯籠も八角形。
会津藩藩主。初代 保科正之(まさゆき) 土津(はにつ)霊神 在任26年 享年63才  2代 保科正経(まさつね) 鳳翔院殿 在任12年 享年36才  3代 正容(まさかた) 徳翁(とこお)霊神 在任51年 享年63才   4代 容貞(かたさだ) 土常(つちとわ)霊神 在任20年 享年27才   5代 容頌(かたのぶ) 恭定(ゆうしず)霊神 在任56年 享年62才   6代 容住(かたおき) 貞昭(みすてる)霊神 在任5ヶ月 享年28才   7代 容衆(かたひろ) 欽文(あきさと)霊神 在任17年 享年20才   8代 容敬(かたたか) 忠恭(まさお)霊神 在任31年 享年47才  9代 容保(かたもり) 忠誠(まさね)霊神  在任17年 享年59才   松平容保(1835〜1893)  明治維新で幕府側の責めを背負い最後まで戦った悲運の藩主。  容保は、京都守護職に任命される。藩祖の遺訓を守り容保はこれを引き受け、藩をあげてその任務にあたる。  1,000名以上の藩兵と共に京に駐留、公武合体のために全力を尽くす。「蛤御門の変」などを通し容保は孝明帝の絶大な信頼を得る。1866年将軍家茂、孝明帝と相次いで急逝、世情は急転。将軍慶喜は大政奉還。戊辰戦争の戦火は東国へと移り、会津は西軍の最大の標的となった。戦い敗れ、会津藩は下北半島に斗南(となみ)藩として移る。容保は、謹慎生活の後に日光東照宮の宮司などを勤める。失意と沈黙の日々を過ごし58歳の生涯を閉じた。容保も松平家の墓所「会津松平家院内御廟」に眠っている。(参道入口案内板より)

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